あんな所にも紫陽花が・・・。
と思いながら、遠くから眺めるのも楽しい。
この日の事はよく覚えている。
天候は良くなかったが、三輪山の夜明けに間に合うように、早い時間から車を走らせた。
現地に着くと、予想通り曇天で、今にも大粒の雨が降りそうだった。
予め決めておいた場所から三輪山を見るとほとんど雲で見えない。
そして雨になった。
頭の中には、美しい朝焼けの中の三輪山を描いていたため、別の日に出直そうと思い引き返し始めたが、ふと下調べで、三輪山を歌った万葉集の中に、雲が登場していた歌があった事を思い出した。
資料として車に積んでいた万葉集のコピーを見てみた。
三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情あらなも 隠さふべしや
額田王(ぬかたのおほきみ)
解釈は資料により違うが、
この地から離れるため、三輪山を見れるのもこれで最後なのに、雲で隠れて三輪山が見えない。
雲はなんと無情なのか・・・。といった感じだ。
この人もカメラマンだったのかも知れない。
とすれば、今日はその情景の日である。
雨の降る中、撮影ポイントに戻った。
1時間ほどすると、雨が止み雲が流れ始め、麓から山が見え始めた。
三輪山( 北緯34度32分6秒)。
撮影は、2006年12月。
さらに徒歩で上に上に、
いつのまにか、かなり標高の高い所まで来ている。
弘法大師御影堂。
さらに奥には、小さな五重の塔がある。
さて、今回の長谷寺を含める「太陽の道」は、写真家の小川光三さんが発見したとされている。
引用
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小川光三さんは試しに、一直線に並んでいる三輪山と多神社を結んでできた東西線を、さらに左右にのばしたところ、西は古代天皇家の古墳群、東は長谷寺(はせでら)や伊勢の斎宮(さいぐう)あとなど、重要な古代遺跡の上を通過する北緯三四度三二分のラインがあらわれた。小川さんはこれを「太陽の道」と名づけた。なぜなら、伊勢の斎宮は太陽である天照大神(あまてらすおおみかみ)をおまつりする巫女たちがいた宮殿だし、長谷寺には毎日、真東の山を拝む「与喜山礼(よきさんらい)」があるなど、太陽信仰のあとが生々しく残っていたからだった。
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淡路島にも伊勢と言う名を残す場所があり、その場所と、三重県にある伊勢の斎宮とはほぼ同じ北緯三四度三二分のライン上にある。
以前からこの事にも興味があり、仕事で小豆島に行った際に調べてみると、偶然かも知れないが、やはり同じライン上に重要な遺跡や古墳がいくつかあった。
古代では重要だった(現在もだが)種をまく時期など、農耕と太陽が関係しているのでは、、とされているようだ。